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2、子どもの成長と遊び

子どもの成長に、遊びは不可欠です。

子どもは遊びながら、考えて、想像して、真似して、手や足、身体を使って、何かを作り上げたり、言葉を駆使したり、観察して、人間関係を作って・・・・と、発達に必要な体験を全て、遊びの世界で行っています。

乳児期の教育は『遊ぶこと』で成り立っているようなものなので、教えたいことが多ければ多いほど、子どもをより多く遊ばせてあげる必要があります。

そう聞くと、周りの大人は子どもにいつも何かを教えたいと思い、遊びの中に出来るだけ学べる要素を入れてあげたいと思うことだと思います。私自身もその一人かもしれません。

でも、ちょっと待ってください。絶対に忘れてはいけない、とても大切なことがあります。

それは、<子どもは自分自身が純粋に遊んでいる時にだけ、その中で自ら学んでいく>ということです。もし、子どもが大人から『教えられている』と感じてしまったら、伝えたいことは何も伝わらなくなってしまいます。

『大人は教えている』けれども、『子どもは遊んでいる』 そんな状態を作り出すことが、様々な教育も含めた子育ての、大人と子どもの理想的な関係だということを、常に頭の片隅に置いておく必要があります。

早期教育は良いとか悪いとか・・・の論争をよくみかけますが、ひとまとめにして早期教育うんぬんではなく、『子どもが純粋に遊んでいて、自ら楽しんでいる』状態ならば、大人がそこに学べる要素をどんどん入れてあげるのは極普通のことであり、とても大切なことではないかと思います。

それを早期教育というのかどうかは疑問ですが・・・

でも、子どもが『教えられてる』と感じてしまう方法でしか、取り入れれないのであれば、それは少し、問題が有るのではないかと思います。

また、少し年齢が上がると『遊ぶこと』が、『学ぶこと』の反対にあるような気がしてしまっている人達もいるかもしれません。

日本の学歴社会の風潮で『遊んでばっかりいないで、少しは勉強しなさい』ってセリフをよく耳にしてきたからでしょうか。

『遊び』をただの娯楽と考えて、実際にそうしてしまったら、そうなってしまうのでしょう。でも、遊びながら学べる『遊学』を目指したら、子どもの興味も引き出せて、自ら学ぶことが楽しくなり、好きになるのではないかと思うのです。

本来、人間には<知らないことを知る喜び>や<知りたい欲求>というのが備わっています。それは、何歳であっても変わりません。

ただ、知ることが喜びに変わらないのは、自らの知りたい欲求ではなくて、外から押し付けられた偽者<他人>の欲求だからです。

そうならない為にも、子どもの遊びをまもってあげることが、とても大切になってきます。

そんな『遊学環境』にする為には、周りの大人達は、今よりも少しだけ、発想を切り替えたり、環境を整えたりする必要があり、その為には、やっぱり、大人自身が遊びを学んで、遊べる大人になる必要があります。

『おもちゃ』と『絵本』についても『おもちゃ=娯楽の要素』『絵本=学びの要素』と思っている人も多いかもしれません。

でも、子どもにとって、おもちゃと絵本は同等です。正確には、同等であるべく配慮を大人がする必要があると言った方がいいでしょうか。

ただの娯楽の道具にしかならないようなおもちゃではなく、子どもの成長に応じて、子ども自身の色々な欲求を満たし、様々な能力を引き出してくれるような遊びができるおもちゃを与える必要があります。

 

 

 

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