ホーム

子どもの園について

絵本の森

おもちゃの山里

ことばの泉

リンク

 

 

 

幼児からの漢字絵本について

 

『なんで、絵本って全てひらがなで書かれているんだろう?どうせ読むのは大人なのに、ひらがなだけで書かれていると読みにくくて・・・』

そんなことを感じたことはありませんか?

<漢字を読む人達と、アルファベットを読む人達とでは使っている脳が違う>という話を聞いたことがありますが、同じ原理で、一文字だけでは何の意味も持たないひらがなを読む時と漢字を読む時に使う脳も違うのではないかと思うのです。
もし本当に使っている脳が違うのだとしたら、幼児期から漢字が使うところの脳細胞もちょっとは刺激する必要があるような気がしてきます。

これは私自身が、常日頃、思ってきたことですが、私の中には、ずっと、いくつかの疑問がありました。

『大人が読みにくいものは、子どもにとっても読みにくいのではないのかな?』
『なんの意味も持たないひらがな一文字、一文字を覚える方が、子どもにとっては退屈で覚えにくいのではないかな?』
『なんでひらがなを先に覚えてなくてはいけないの?』
『本当に漢字って幼児にとって難しいもの?』
『もし漢字が幼児には難しいと言うなら、漢字しか使わない中国語はどうなるの?』

<絵本好きの子どもをどうやって、本好きまで導いていこうか?>
このことを考えると絵本を卒業してから本嫌いになる原因のひとつは、漢字に慣れていないことではないかと思うんです。

絵本ではひらがなだけだったものが、児童書になり、少しづつ対象年齢によって漢字が混じってくる訳ですが、それまで「やま」だったものが、ある時を境に「山」と変わるよりは、初めから「山」としてあった方がずっと楽なのではないでしょうか。

例えば、ひらがなならば、かなり長いお話でも読めるくらいの読解力が付いていて、その年齢から、漢字変換をしていたのだとしたら、どれだけの数の漢字変換が溜まってしまっているのでしょう。その漢字変換の為に、今までひらがなでスラスラ読めていたものが、読みにくくなってしまったとしたら詰まらない思いもするでしょう。

これでは、話し言葉に比べて、書き言葉があまりにもお粗末な気がします。
0才の頃の絵本から極自然に「ネコ」は「猫」、「イヌ」は「犬」として見ていれば、もっと絵本から本への移行が楽になるはずです。

以下は私がそんな風に考えるようになった経緯です。

実際には、漢字を教えることが目的ではなかったのですが、言葉が遅れていた息子に、2歳半頃から、漢字もひらがなも混ぜた正しい日本語の表記法の文字カードを使って言葉を教えているうちに、<詳しくはことばの泉の日本の言語療法よりに記してあります。>いくつか、子ども達、2人ともに共通していることがはっきりと出てきました。

それは、ひらがなやカタカナだけで書かれた文字よりも、漢字が入っていた方が、断然、覚えるのが速いということ、子どもにとっては、画数が多い、少ないは関係ないようで、決して、画数の多い漢字の方が難しいということはなく、覚えるのが速い漢字は具体性のあるものと本人に身近で興味のあることのようでした。
それから、絵のように全体のイメージで記憶していくらしくて、新しい字が出てくると『〜って字みたい』と言うことが多いようでした。

そんなことが見えてきた頃にグレン・ドーマン氏の<赤ちゃんに読みを教えるには>という本を読みました。
この本では、『文字を教えるのではなくて、生まれた時から、書き言葉で話し言葉を教えていく』という発想で、赤ちゃんの頃から意識して積極的に耳だけではなくて、目や身体を使って言葉を習得していく方法が紹介されていました。
これは、もともとは障害を持つ子どもの為に研究されてきた方法で、言葉の遅れている子ども達に取り入れている言語療法士もいます。
確かに、子どもによっては、聴覚よりも視覚の方が優れている子もいますので、聴覚だけに偏るのでなく、五感、全てを使った方が、当然、より楽に吸収できる子も、いるはずです。

また、この本の中で、書き言葉に関して、私が体験して感じていたことが納得のいく形で論証されていて、しかも私の実感したことも、カードの大きさや使い方、方法、習得までの段階などの違いはあるけれど、このドーマン式でも同じように立証されていました。
そこで、どんなものかな?と、早速、この方法も取り入れ始めてみました。
ドーマンの方は、赤ちゃんから、積極的に書き言葉に触れさせていく方法で、もう赤ちゃんではない家の子ども達には、若干、最初の導入が難しく、少し形式を変えたりしましたが、それでも、段々と楽しみ始め、二人とも、結構、簡単にどんどん、覚えていきました。
でも、覚えるのも速ければ、忘れるのもすごく速いのが子どもです。
覚えても実際に使える場所や応用できる場所がなければ、どんどん忘れていってしまいます。
でも、当然、日本国外に住む幼児に、漢字も含めた読みが必要な場面などは、皆無です。
積極的に、周りの人間がそういう状況を作らなくては記憶を保持していくことはできそうもありません。

そこで、漢字を使った遊びやゲームを考えたり、簡単なアルバム絵本を作ったりして、日常に取り入れてきました。
でも『そんなくらいでは追いつかないないなぁ』というくらいの速度で忘れていくっていうのが実感だったので、漢字の応用方法についてもっと有効な方法がないものかと調べていました。
そんな時に、こんな文章に出会いました。

『ひらがなだけで書いた日本語を5〜6歳になるまで見せられ続けて育った子どもは、頭の中にひらがなだけが定着してしまいます。「山」は子どもにとっては「やま」ですし、「川」は「かわ」なのです。これは恐ろしいことです。せっかく幼児の頃から本に親しませるのならば、正しい日本語の表記法「漢字と仮名の交ぜ書き」で書かれた本を見せて育てたいものです。
そうすればどんな言葉は漢字で書くのか、それがなんという漢字なのかということを、ひらがなを覚えるのよりは簡単に覚えてしまいます。「イヌ」は「いぬ」ではなくて「犬」なのです。
「ハナ」も「はな」ではなくて「花」や「鼻」なのです。ひらがなで書いたのでは、どちらのことなのかわかりませんが、漢字で書けばどちらのことかは明確で間違うことがありません。』<
石井式>

目からうろこでした。確かにそうなんです。その通りなんです。
極普通に漢字も交ぜたカードで言葉を覚えてきた我が家の子ども達は、2歳半と4歳半で「メ」は「め」ではなくて「芽」と「目」をしっかり区別しています。彼らの頭の中では、決して「め」ではないのです。「ハナ」も「鼻」「花」と区別しています。
でも、家の子ども達は、「犬」「猫」「熊」など、漢字でなら読めるけれど、ひらがな50音、全てをしっかりと覚えていないので「いぬ」「ねこ」「くま」と書いてあっても読めません。

それにしても、なんで、それまで絵本に目が行かなかったのでしょう。
絵本はひらがなというのが、当たり前のように感じていた自分がいたからかもしれません。
でも、その当たり前は、多数決によるようなもので、絶対ではないのかもしれません。

幸い子ども達は絵本が大好きで読まない日は1日足りともありません。
毎日、沢山読んでいる絵本が普通に漢字も使われている表記法であれば、自然と子どもの目の中にも入ってくるし、日本での生活と違って日常生活の中で日本語を見る機会は少ないのだから絵本を活用しない手はありません。

でも、全てひらがなで書かれている絵本がほとんどで、家でも、ひらがなだけで書かれた絵本を見せ続けてきてしまいました。実際に漢字が使われている絵本も限られています。
そこで、家にあった絵本を少しづつ、漢字と仮名の交ぜ書きの絵本に変えていきました。

こうした手間を掛けたからと言って、『さぁ〜これなら読めるでしょ。読みなさい。』と子ども達に読ませるつもりは更々ありません。今までと同じく、子どもの方から『自分で読むから、もう読んでくれなくてもいい。』と言い出すまでは、何歳になってでも、読んであげるつもりです。

でも、やっぱり、絵本から本への移行がスムーズになるのではないかと、僅かな期待を持っています。

『うちはひらがなから先に教えているから・・・』
『日本語学校でひらがなから習っているから、家で漢字を教えたら混乱するかもしれないし・・・』という意見を聞くこともありますが、そんな心配は全く、いりません。

家でも50音は50音として別で、同時期に少しづつ教えていってますが、子ども達にとっては、別に大した問題でもないようです。
ただ、意味を持ち、そのものをイメージできる漢字の方が、何も意味のない50音よりもイメージしやすくて、子どもも興味を持ち、覚えるのが速いというだけのことです。

 

 

 

 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送